Tokyo
020

和菓子が伝える文化と心

日本独自の菓子ができるまで

早朝の清々しい空気の中で、職人がひとつひとつ手作りする和菓子。店舗に季節ごとの鮮やかな生菓子が並び、買い求める人の視覚と味覚を楽しませてくれる。春夏秋冬、豊かな日本の四季を表現した和菓子は、江戸時代に大成したと言われている。古来、菓子とは木の実や果実を指す言葉で、米、粟、稗から作った餅や団子も同様のものとみなされていた。
それが、飛鳥~平安時代に中国から伝来した唐菓子や、鎌倉〜室町時代に禅宗の僧侶が伝えた羊羹や饅頭などの点心、戦国〜江戸時代初期にポルトガルやスペインから伝わったカステラや金平糖といった南蛮菓子の影響を受けて、鎖国下の江戸時代に日本独自の和菓子が完成したのだ。

日本独自の菓子ができるまで
「岩根のつつじ」を作る和菓子職人・町田繁さん

江戸時代から愛される和菓子

「とらや」の5月の生菓子「岩根のつつじ」は寛政12年(1800年)の史料に見える和菓子だ。紅色のそぼろ餡が、岩間に咲きこぼれるつつじを表現している。鮮やかな山吹の花を表した「井出の里」の名は、元禄7年(1694年)の記録に棹菓子として見ることができるが、現在はきんとん製となり、春を彩る。 「井出の里」で和菓子職人が使う道具はふるいと箸、手のひらだけ。この道35年の和菓子職人である町田繁さんはきんとん製の菓子が一番難しいという。ふわりと華やかにそぼろ餡を纏わせるには、素早く的確に形を作ること。それには長年の経験が必要だ。「岩根のつつじ」「井出の里」は、古くから作られている菓子だが、現在職人たちが参考にしているのは大正7年(1918)の菓子見本帳。ただし記録されているのは意匠や菓銘などで、作り方は職人の手から手へと受け継がれるものであった。

江戸時代から愛される和菓子
大正7年の『菓子見本帳』

人の心をつなぐ贈り物

室町時代後期、京都で創業した「とらや」は、後陽成天皇在位中(1586年~1611年)より、御所の菓子御用をつとめてきた。明治2年(1869年)の遷都とともに京都の店はそのままに東京にも進出。昭和55年(1980年)にはパリ店がオープン。甘く煮た豆を食べる文化のないフランスに、餡や和菓子を日本の食文化として広めた。そして和菓子が伝えるものは文化だけではない。 贈答品として、人々の心をつなぐ役割も果たしている。お菓子を贈る習慣は、古くは平安貴族の間で見られ、 砂糖の輸入が増えた江戸時代には庶民にまで広まった。まだまだ砂糖が貴重な時代に、和菓子を贈るのは心づくしの表れ。今でもギフトやお土産として、重要なコミュニケーションツールのひとつだ。手のひらに乗るほどの小さな和菓子。今も昔も、日本のGOODな文化と心を伝えている。

人の心をつなぐ贈り物
5月の生菓子「井出の里」(左/5月1日〜15日まで販売)、「岩根のつつじ」(右/5月7日〜15日まで販売)

(※)通常の製造過程では、マスクと手袋を着用しています。今回は撮影のために外していただきました。

データ

いつ始まったの? とらやは室町時代後期に創業。後陽成天皇在位中(1586年〜1611年)には御所御用を勤めていたことが『御出入商人中所附』(1754年)に記されている。
どこで見ることができるの? 全国の「とらや」直営店、販売店にて。海外はパリにも店舗がある。
おすすめの時期や時間帯は? 半月に一度季節の生菓子は入れ替わるので、季節の移ろいを楽しむことができる。
数字データ 平成28年度 一世帯あたりの和生菓子支出金額:11,568円(『総務省家計調査報告』より)

取材協力:虎屋