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銭湯のかけ湯
かけ湯は足のつま先から
昭和32年創業の「明神湯」は、唐破風の宮造りで脱衣場は格天井、富士山のペンキ絵という昔ながらの銭湯。お客さんは入り口の下足箱へ靴をしまい、番台に入浴料を払って中へ入る。脱衣場で服を脱ぐと、浴室に入ってカランから桶にお湯をたっぷり注ぎ、ざぶっと体にかけてから湯船につかる。たくさんの人が入るから、かけ湯は体の汚れを落とす大切なマナーだ。さらにかけ湯には、急激な温度変化でおこる血圧の急上昇を防ぐ効果もある。正しいかけ湯は、つま足から徐々に心臓に向かってかけるべし。

唐破風のある宮造り様式は東京の銭湯で多く見られる。
西と東で違う銭湯の常識
そのかけ湯も、実は関東と関西で違いがある。東京ではカランから注いだお湯を体にかけるが、関西では湯船から汲みだしてかけ湯にする。関西の風呂桶は、お湯を汲み出しやすいように、関東に比べると一回り小さく作ってあるし、浴槽も全国的には浴室の奥だが、関西では浴室の中央に位置している。脱衣かごの形は、関東では丸く関西では四角い。富士山のペンキ絵は東京発祥だから、関東に多く存在しているなど、銭湯にも地域ごとの特色があるのだ。

富士山のペンキ絵も東京発祥。清々しさが倍増。
世界各国の人が集まる場所へ
家風呂の普及にともなって、昭和40年東京に2,641軒あった銭湯は、平成25年には706軒にまで減少した。しかし、現在は日本の文化を伝える場所として、若い世代からも徐々に注目を集めている。明神湯のおかみさんによると「大人になって初めて銭湯に来るという方も増えました。最近は、ガイドブック片手にやってくる海外からのお客さんもいるんですよ」。番台には、日本語と英語で入浴方法を説明するパンフレットも置いてあるという。街の憩いの場だった銭湯は、今では日本の文化を伝える場所にもなった。たとえ生活習慣が異なっても、銭湯のマナーは一緒。湯船に入る前にはかけ湯をする。その気持ちが街の銭湯を支えていく。

番台のふれあいも銭湯の楽しみのひとつ。
データ
いつ始まったの? | 6世紀に伝来した仏教が沐浴を推奨し、寺院に浴堂を備え施浴が行われていた。平安時代末期には京都に湯屋が登場。それが銭湯の発祥といわれている。東京の銭湯は江戸時代初期頃。 |
どこで体験できるの? | 東京には628軒の銭湯が営業中(平成27年度)。 |
おすすめの時期や時間帯は? | 冬は大きな湯船で体の芯から温まり、夏は湯上りに冷たいコーヒー牛乳を飲むなど、四季折々に楽しみがある。時間帯は混雑しすぎない夕方から宵の口がおすすめ。 |
数字的データ (広さ、重さ、数(年月日)) | 東京都の入浴料金:大人460円(12歳以上/平成26年度) 富士山のペンキ絵の誕生:大正元年(1912年) 一般的な風呂桶の重さ:関東360グラム、関西260グラム |
注意事項 | かけ湯をしないで湯船に入ることと同じくらいマナー違反なのが、浴室から脱衣場に濡れた体で戻ること。浴室を出るときは水滴をしっかり拭きましょう。 |